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教材出版 学林舎は学習教材の制作・販売、教育商材(理科実験工作教材・アメリカの教科書など)を取り扱っています。

【GAKURINSHA TOPICS】 “思い込み”からの逸脱−大人であることの解体がすべてだ

 大人が大人であることを子どもに見せつけるように振る舞っている限り、子どもと共に生きていくことはできない。
 子どもは大抵の場合、大人に従ってしか生きてこれなかった。いつも大人を見倣っていくように命令されてしか存在できなかった。これを可能にできたのは、子どもがある大人を自分が生きていく上での手本と考え、尊敬してきたからだ。昔は、少なくとも昭和初期でも子どもは大人を尊敬の目差しで見ていた。力強いとかお金を稼いでいるとかその理由はたくさんあった。しかし、教師はそうではなかったかも知れない。総じて、単純に否定できない雰囲気だけはあったと思う。
 ところが、まさに時代は変わった。いま、子どもから尊敬される人間はいるだろうか。いるとしたら「あんな人間になりたい」と思われる人間だけだろう。こう視点を変えてみると、その候補者はたくさんいる。ノーベル賞をとった人、人のためになることをした人などだ。これは子どもの変容も加わっている。最近の子どもたちは臆することなく「人に喜んでもらえる人になりたい」という。
 これは、大人たちが子どもを見る視点が大事だということを示している。今でも大人たちの多くは子どもは支配される存在だという認識をすてきれないままだ。
 では、大人たちはなぜこの認識から逸脱することができないのだろうか。それは<知>の捉え方の誤りからきている。大人たちは子どもに対して自分の生活経験から向きあおうとはしていない。まったく有り触れた常識−テレビなどのメディアが垂れ流す情報を鵜呑みにした知識−右から左へ投げることしかない。それは自分が他の大人をどう評価しているかを考えれば直ちに分かることなのだ。自分が尊敬している人間は誰か、どんな人間であるかを子どもに伝えられるかどうかを考えてみるとすぐに分かることだ。
 そうすると子どもと関わりのある大人のすることはただひとつだ。それは共に学ぶことしかない。なぜそのような解き方になるのかを共に考えることだ。子どもが考え込んでいたら、何がひっかかっているのかを一緒に考えることだ。そして、大人でしかできないことを子どもに伝えることが唯一できることだ。
 すなわち、結果としての答えではなく、なぜその学びが誕生してきて、どのように伝わってきたのかを子どもに伝えること。それが大人にしかできない<伝授>なのだ。それを可能にするのは、大人が蓄積してきたこと、すなわち人類が蓄積してきたことを自分にも分かるようにかみくだいて伝えることにおいてだ。
 最近の大人を見ていて気づくことがある。それは、あまりにも自己中心的すぎるということだ。このような大人しか見ることができない子どもを自己中心すぎると批判することは天に唾することに他ならない。
 他人にあれこれいうまえに「自分はどうか?」から吟味するしかないと思う。そういう意味において、すべての概念を洗い直し、組み立て直すことが必要かつ可能になった時代がやってきたと、前向きに考えられる絶好の機会がやってきたと実感できる。(文/ 2005 年学林舎情報より)