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学林舎NEWS 2016.12.6 求められる指導者のグローバル化

 指導者(教育関係者)に期待されているのは、世界で活躍できる子どもたちを育成することです。そして、その中心となるのが「表現力」なのです。この表現力を活かす道具として、「言語(英語など)」「コンピュータ」などがあります。
 しかし、「グローバルな人間形成」の育成をめぐって教育現場は、揺れ動いています。その最大の理由は、育成する側がグローバルな人間ではないということが問題となっているのです。なぜ、子どもたちのお手本になるべき指導者がこのようなことになってしまったのでしょしょうか? もう一度、求められる「指導者像」を検証してみましょう。

○自分の言葉をもたない指導者

 「なぜ、子どもたちのお手本になるべき指導者がグローバルな視野をもって発言できなくなってしまったのか。」という疑問に対して、二つの原因が推測されます。

1. 指導者を育成するシステムそのものの問題。
2. 学習意欲の喪失。

 1に関しては、例えば学校の先生で考えると教員免許取得そのものが点数評価であり、点をとることを目的にした指導者を教育界におくりこんでしまったことと、年功序列による公務員給与の体系が、指導者そのものの学習意欲をなくさせたことにあります。現在の指導者の多くは、決まったカリキュラムの中、カリキュラム通りで学習を積み上げてきました。従って、彼らの多くは、知識を伝達することはできても、カリキュラム外の対話、表現力といった応用力を養うことができませんでした。このような結果を招いた教員育成制度、指導者養成に関して、見直す時期にきています。
 2に関しては、1とも関わってくるのですが、既存の制度の中に埋没してしまい、元来指導者にとってもっとも必要な“学ぶ時間”=“自分の教養を高める時間”をもたなくなってしまったという現状があります。「子どもに読書を」といいますが、読書の良さや、読書によって何を獲得できるのかということを知らない指導者がいっても、子どもたちに伝わりません。豊かな教養をもち、確かな手応えをもつ指導者が、望まれています。この二つの原因をふまえた上で、指導者(教育関係者)は、何をすべきなのか? 文部科学省は、そのことに頭を悩ませています。制度に埋没している人間同士が話し合っても、新しい案がでないのは当然です。その答えが、簡単なものであってもです。

○教える指導者から学ぶ指導者へ

 教える指導者というのが、現状の指導者像となっています。しかし、この現状が破綻している状況においては、どんな指導者が求められるのでしょうか。「指導者が教えなければ指導者じゃない」といわれそうですが、たしかにいままでは知識を伝えることによって、指導者像を構築してきました。しかし、そのことにより本来、指導者に求められるグローバルな人間性を退化、喪失させてきたのも事実です。昔の先生たちには「知識を伝達」ではなく何かを伝える<教え>があったのです。<自分で学べ>という教えがあったのです。この<教え>を指導者が身につけるためには指導者自身が学習者と同じ目線つまり、学習者になり共に学ぶ必要があるのです。指導者の学ぶ姿勢や学びの方法を見ることによって、たとえ言葉に出さなくても、同じ空間で学ぶ学習者は肌で感じ、共に学ぶのです。そして、指導者が学ぶことにより失われた「指導者の教え」を取り戻せるのです。

 「子は親の背中を見て育つ」という言葉があるように、学習者は指導者の学ぶ姿勢を見て育つのです。(文/学林舎 北岡)