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教材出版 学林舎は学習教材の制作・販売、教育商材(理科実験工作教材・アメリカの教科書など)を取り扱っています。

学林舎NEWS 2016.12.21 科目学習について考える

科目学習の意味や価値について

 科目という字を辞書で調べると、@ある事柄をいくつかに区分した部分 A大学・高校の教科を構成する範囲と載っています。その下につく学習は、学び習うことと辞書に載っています。しかし、この規定概念(決められた考え方)では、未来を切り拓く力を身につけることは困難です。そのためにもまず、科目学習の意味や価値を見直し、何のために科目学習をするのかを考えなければいけません。

科目学習のイメージ
 私たちがいままで、イメージしてきた科目学習は一定の枠(範囲)の中でしか通用しない、閉鎖的な科目学習でした。その代表的な科目が語学分野です。とくに英語については、中学校で3年間、高校で3年間と6年間みっちり学んでいるはずなのに、英語を使って話すことはおろか、読むこと、書くこともできないというのが現状でした。他の科目についても同じことがいえます。数学などは、学校という枠の外では使いようがないというイメージが定着しています。
 しかし、本当の科目学習というのは、一定の枠におさまったものではありません。意識、学ぶ姿勢、見方によって、もっと役立つものとなるはずです。

算数・数学を学ぶことの理由
 算数・数学という科目は、計算や公式を覚えるというイメージが定着しています。まず、このイメージを変えることにより、算数・数学を学ぶ理由は、大きく広がります。
 よく、「論理的な考え方」「規則性を発見する力」を養うためといわれていますが、もっと具体的にいえば「問題を解決するため」問題に立ち向かえるための、「基礎」をこの科目で学ぶといえます。
 いずれ、子どもは親元から離れ一人立ちする時がやってきます。それは同時に社会に向かってはばたく時でもあります。そして、子ども自身が自分の力で問題解決しなければならないことがいつも目の前にやってきます。この問題を解決する力とは、物事に対してすじ道をたてて考えることによって生まれる推察力です。算数や数学の問題もこのすじ道をたてて考える、推察する力がないと答えは、導き出されません。
 子どもたち自身が学んでいる算数・数学の考え方を「これからの生活に立ち向かえる力」と意識づける、意識改革できれば、学習に対する向き合い方も大きく変わるはずです。

国語を学ぶことの理由
 国語というイメージをまず、捨て去ることが学びへの第一歩といえます。国語はその名の通り、その国の言語について学ぶことです。つまり、日本語を学ぶということです。日常使っている日本語の文章を正しく読んで、理解し、自分の言葉に直して表現できなければ、相手に伝えることはできません。相手に伝えることができなければ、対話は成立しません。
 子どもたちがいま取り組んでいる国語の文章を、子ども自身の対話力のレベルをあげるために学ぶと考えれば、いままでとはちがった国語学習になるのではないでしょうか。

理科・社会を学ぶことの理由
 理科・社会という科目は、様々な角度で私たちの生活に深く関わってきています。様々な角度とは?理科の1分野である、自然科学は地球と自分との関係を客観的にとらえ、環境についての重要性を知らせてくれます。歴史は、現在の自分が生きている時代と過去の時代を照らし合わせることによって、現代に何が必要なのかを教えてくれます。しかし、いまやっている理科・社会は、その表面しかとらえていません。そのまま、素通りしていくか、いかないかは、学習する目的次第です。
 学習する目的や意味を変えることにより、理科・社会という科目の枠を飛び越え、学習者に「知」をあたえてくれるはずです。

英語を学ぶことの理由
 「日本で生活をするのであれば、英語はいらない」と考えているのであれば、自分自身で自分の可能性をせばめています。これは、子どものみならず、大人にも言えることです。英語を日本語と同じように使うことができれば、世界は広がります。世界を広げることによって、様々な出会いや経験ができます。
 価値観の差といえば、それまでですが、小・中・高と英語を学んでいくわけですから、少しでも前向きに、英語を使って何ができるのかをもう一度考え直し、自分をより豊かにするための英語を学ぶことが必要ではないでしょうか。

 10年前までは科目学習の先にあるのは、「進学」でした。
 しかし、進学することだけで未来を切り拓くことが難しくなった現在において、科目学習に対する考え方や位置づけも変えなければいけない状況になっています。言葉を変えれば、学歴だけでどうにかなる時代は、完全に終焉したとも言えます。
 国という枠を超えて、世界の人々がつながっていく中において、大切なのは自分という一人の人間がどのような価値観をもって、どのように生きたいのかを表現できることが求められているのです。(文/学林舎 北岡)