本文へスキップ

教材出版 学林舎は学習教材の制作・販売、教育商材(理科実験工作教材・アメリカの教科書など)を取り扱っています。

学林舎NEWS 2017.2.3 成長する思考力GTシリーズ国語文法講座(7)


書くことの意味(2)

  表現としての言語を考えるとき、『書くこと』の重要性は『社会的存在』としての人間を考えるのと、同じではないでしょうか。今回は『書くこと』に入る前に、『社会的存在』としての『個』が成り立つ基盤を、私たちが日常使っている言葉の種類を分析することから考えてみたいと思います。

 日常会話でよく使われている音声による言葉は、同じ空間を共有している対象に向かって発せられる、あるいは前提的に共有可能な条件を持っているために、指示的な言語のみで了解可能となるものです。例えば、「それとってちょうだい。」「5時にいくよ。」と言うように、主語や目的語、助詞や形容詞などがなくても十分に、発語されている言語の文脈を理解することができるのです。ところが、同じ空間にいても、前提的に共有の有無を推察できない自分の内面に関わることを相手に伝えようとしたり、議論を交えようとすると、これでは全く通じません。まして、環境の全く違う外国人などになると、共有するものは言語の普遍性でしかないのです。自分が伝えたいと思っている内容を相手が理解できるよう、助詞や助動詞、形容詞や副詞など言語が歴史的に獲得してきた普遍性を使って伝達するしかないのです。この時、初めて私たちは表現としての言語に出会うのです。一般に日常会話で使われている言語は話し言葉といわれ、可視的な条件のもとに指示的な伝達を可能とするものです。表現された言葉自体に文脈を持つ言語は「書き言葉」といわれ、普遍的な言語体系を持つものです。したがって、書き言葉は指示性のみならず、自己表出性の非常に高い言語にならざるを得なくなります。社会的存在とはとりもなおさず関係という目に見えない観念が張り巡らされた中にあるのだから、自分を理解することも他人を理解することも、この目に見えないものを<表現としての言語>で表さない限り了解はあり得ないことになります。
 社会的存在を認知することは、自分を客観的に見ることによって自分を知るという行為を積み重ねる過程でもあります。すなわち自己対象化作業を行い続けることによってのみ人間が社会的存在としてあり続けられるのです。
 『文字が読めること』『文字が書けること』が、社会教育の最低の教養として、江戸時代以降、今日まで営々と引き継がれ、文字が読めない人は皆無に等しくなっています。ここでは、『言語表現』という側面から考えてみたいと思います。
 言語の時代的・社会的現象として最も特徴的なのが電話です。もともと電話は、共同体のもの(会社や家族のもの)として設置されてきましたから、相手に伝達したいことを手短かに伝えるものでしかありませんでした。ところが<携帯電話><e-mail、SNSなど>によって、個人のものとなった今日では、遠く離れた人間同士の間で、また、かつて出会った相手とお互い推察しながら仮想の共有空間を創出します。そのことによって、伝達以上の役割を果たし始めたことは否めません。
 しかし、本質的には現在の相手が声、文字を通してしか見えません。(TV電話、スカイプなどは違ってくるかもしれませんが。)そのことによって、現在的情況が見えない相手に対して、お互いの心をキャッチボールする対話をなすためには書き言葉としての言語で話さなければ、対話が成り立ちません。文脈を持った表現としての言語「書き言葉」を自在に使えない子どもたちは、電話、SNSでどんな会話をするのでしょうか。絵文字やスタンプを押すだけなのでしょうか。それも、新しい表現なのかもしれませんが。

 子どもたちの「書き言葉」としての表現力が低下している背景には、学習内容に問題があります。学校では、一日の8時間近く毎日のように学習しながら、漢字を覚えたり、文法を覚えたり、作られた解答を覚える知識一辺倒の学習が中心です。「学習する」ことが自己対象化としてあるのではなく、「できる」「できない」「覚える」「覚えていない」の評価基準に現在も終始しています。簡単な例で言えば、「プールの中でしか泳げない、子どもを育ててる」のと同じです。
 科学技術は宇宙飛行を可能にし、情報は一瞬にして世界を駆けめぐる時代だというのに、日本の学習現場の中心である学校の多くは30年前と同じことを、形を変えておこなっているだけです。根本的な学習の在り方も含め、大胆に科目の位置づけ、カリキュラムの変更をしていかないと人材育成という観点から世界との格差は拡大します。
 これからの私たちの課題は、自由な発想のもとに、「学習する=学ぶ」ことによって子どもたち自身が自らを成長させていく学習を実行していかなければなりません。それはとりもなおさず、文脈を持った言語習得の機会を子どもたちに与えていくことです。『文脈が読めること』『文章が書けること』を新たな教養として、再構築し、表現力豊かな子どもたちを育てることが、これからの私たち、大人の役割と言えるのではないでしょうか。(つづく)<文/学林舎編集部>


【成長する思考力GTシリーズ国語文法講座】

・成長する思考力GTシリーズ国語文法講座(1)

・成長する思考力GTシリーズ国語文法講座(2)

・成長する思考力GTシリーズ国語文法講座(3)

・成長する思考力GTシリーズ国語文法講座(4)

・成長する思考力GTシリーズ国語文法講座(5)

・成長する思考力GTシリーズ国語文法講座(6)