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学林舎NEWS 2017.2.6 成長する思考力GTシリーズ国語文法講座(8)


書くことの意味(3)

  本題の「書くこと」に入るまで、「話し言葉」と「書き言葉」の本質的な違いについて述べてきましたが、これらはいずれも、言葉の定義づけです。そして、この言葉は個々の目的に従って、「話す」、「書く」という表現として成り立っているのです。ここで確認しておかねばならないのは、「書くこと」とは自分の意見を持ち、柔軟な思考で問題解決をはかりうる能力を育成することが目標です。そして、文脈をもった表現としての言語を自由に使いこなせることが、この目標達成にはなくてはならない学習の一つであることを確信しています。いままで、表現としての言語について長々と述べてきたのも、この確信そのものの依拠するところを検討する必要があると考えたからです。つまり、表現力を養う学習とはいったいどんなものであるのかを検討することにあります。
 「話すこと」と「書くこと」とは「話し言葉」と「書き言葉」の違いで明らかになったように決定的な違いがあります。それは対象の存在です。見える存在と見えない存在とでも言いましょうか。見えない存在にたいして語りかけることが「書く」ということに一番近いものと思えます。ここでは「見えない対象」をまずイメージ化する事が迫られます。つまりいったい自分は誰に向かって語りかけようとしているのかを自分自身に問わなくてはなりません。それは同時に誰に向かって語りたいのかを明らかにすることを迫られることでもあります。
 この対象のイメージ化は当然、書くことの内容によって限定されてくるはずです。
 私たちの書く行為(日常的)の対象を考えてみましょう。自分自身に対しては日記、Blog、FaceBookなどのSNS。家族、友人などにたいしては手紙、e-mail、LINEなどのSNS、さらには仕事上の報告書やレポート。「日記」は自分が分かればいいという文です。Blog、FaceBookなどは、自分が分かるを前提に他者に伝えたいという自分の気持ちの部分を表した文です。手紙、e-mail、LINEなどのSNSは家族、友人と自分との共通の了解が成り立てばよいという文です。仕事上の報告書やレポート、企画書は、複数の人々に了解かつ、理解されなければならない文書です。
 このように考えてみると、社会人として仕事をもつことがほぼ当たり前になっている私たちの社会では仕事上の報告書やレポート、企画書を書くことができるということが「書くこと」の最小限の目的となるのではないでしょうか。「学習」として成り立つ部分はまさにここにしかないと言えるかもしれません。もちろん、詩や小説などはどうなるんだという反論があると思いますが、ここでは「文学」としての書くことについては別の問題として考えていただきたいと思います。人々は「文学」を読むという行為によって、固有の世界を築き上げて行くのであって、これによって直接的な「文学」を書くという世界に行くのではありません。むしろ、築き上げられた自己の哲学でもって社会と関わり、その社会における自分と係わる人間関係を築き上げます。「文学」の世界はその意味では切り取られた「日常生活」の世界とは別の問題として考えるべきだと思っています。
 仕事上の報告書やレポート、企画書の書き方という本をよく目にしますが、この問題を単に技術的な問題で終始してしまっては「学習」というところには至りつかないと考えています。「書くこと」の対象の設定から「書く目的」の設定までを考えられる力をつける過程こそ、私たちがするべき「学習」であると考えます。「書くこと」の技術的な問題は、これらが個にとって明確にされれば自然とクリアされていくのです。
 今後の社会で求められる表現力の基礎とは、このようなことではないでしょうか。簡単に言えば「書くこと」を成り立たせるのは、「書くこと」を産み出す前提として、自分が何に向かおうとしているかを発見することにあります。この発見の過程を「学習」として成り立たせることが、今後の教育に携わる人間の課題とも言えます。<文/学林舎編集部>


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