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教材出版 学林舎は学習教材の制作・販売、教育商材(理科実験工作教材・アメリカの教科書など)を取り扱っています。

学林舎NEWS 2017.3.3 子どもたちを取り囲む消費社会(1)


(1)小さな消費者になってしまった子どもたちの生活

 子どもたちの消費行動は直接的な経済基盤の上に成り立つものではありません。なぜなら子どもの多くは、自ら「お金を稼ぐ」というようには生活基盤が成り立っていません。かつてのマルクス的経済学から考えると子どもは労働予備軍として位置づけられ、未来の労働力のために親や国家は教育投資をするという労働再生産過程であると位置づけられていました。そこには子どもの消費行動は、たかだか「食べる」ことにまつわる程度でした。しかし、現在の社会状況は大きく異なって、未来の労働予備軍というより、すでに「小さな消費者」として社会の重要な構成員としての生活実態を創り出しています。この社会の成り立ち様は当然、「労働」という概念をも崩していくのです。(「労働」に関して、ここでは論及することは差し控えます。)かつての資本主義社会とは違って情報が隅々まで行き渡る高度消費社会では、子どもたち自身も消費者として大きな市場のターゲットになっています。この子どもの消費行動を支えているのは「情報」と同時に親の消費行動の反映です。
 ではいかなる消費行動が展開されているのでしょうか。
 現代の消費傾向はモノの消費からサービスの消費、つまり時間消費、空間消費、人間消費がその中心的なものになっているとされています。具体的な例をとりあげてみます。

○時間消費
・人との対話による時間消費  
 携帯電話、インターネット(SNS)、カウンセリングなど
・メディア接触による時間消費  
 雑誌・書籍、テレビ・ビデオ、音楽、テレビゲームなど
・体験・行動的時間消費
 旅行、映画、コンサート、園芸など

○空間消費
・居住空間消費 自分の居場所を快適にするなど  
・特殊空間消費 旅行、リゾートなど

○人間消費
・コミニュケーション消費
 家族・知人との交流、サークル・クラブ、携帯電話、パーティなど
・自分消費
 自己啓発、宗教、生涯学習、習いごと、フィットネス(健康管理)など

 時間消費、空間消費、人間消費をなぜしていくのかと考えていくと、この3つの消費はあらゆる関係性が飽和し、そのことによる「心の渇き」を表しているように思います。適切な言葉がみつかりませんが、この「心の渇き」を癒したり、自己啓発をするためにこの3つの消費行動がおこなわれているのではないでしょうか。そして、これらは個々人の欲求に似合った選択消費行動として現れます。ところが、個々人の欲求の数は膨大な種類となり、実際にはまったく満足感が得られていない状況が現実ではないでしょうか。
 子どもたちにもまた、これが反映され、「自分を求めて、自分を消費しつづけている」現状があります。携帯電話からSNSへ拡大し、膨張しつづける消費的情報の氾濫は何よりもよくこれを示しています。一見、モノへの欲望と見えるようなことであっても実はそれは単なる心の穴を埋める手段としてしかないように思います。
 小さな消費者となってしまった子どもたちの多くは、この20年で変化した社会、家族の形、親と子の関係性、大人の生活、時間の過ごし方が影響していると言わざるを得ません。社会においては、30年、40年前には考えられなかったあらゆる消費物、情報に私たちの生活は囲まれています。その消費物、情報に多くの大人たちは煽られつづけています。そういった状況下の中で、子どもに対して「子どもだからだめ」という言葉は、子どもから見れば何の説得力ももちません。「親の姿を見て子は育つ」という鉄則からするとかなり困難な状態を思い描くことができます。つまり、一般的な言葉の上での躾はするが親自体がその姿を見せることが困難な状況であるということです。それと同時に躾の内容もかつてとはかなり異なり、子どもに自覚を促すという方向性でしか子どもの生活全般に渡る躾はできないように思えます。言葉だけの躾は、子どもたちの内面に「真実」として、映し出されません。50年、60年前、家族は父親が社会で働く姿を子どもたちは母親を通して垣間見ることができました。そこには家族を守る一体化された父母の姿があったはずです。そして、その中で守られ育てられているという心の安らぎが子どもたちにも育まれていました。今、子どもたちは「守られる」ことなく、自分たちの心の癒しに頭がいっぱいでありながら口うるさく躾しようとする父母と、情報に溢れかえる社会に放り出されて、「小さな大人」となって親たちと同様に、心の渇きを埋めるためのものはないかと情報の世界をかけづりまわりながら探しているのではないでしょうか。
 だからといって、かつての暮らしに私たちは戻ることができない現実が私たち大人に突きつけられた大きな課題であることはいうまでもありません。(つづく)(文/学林舎 北岡)