学習現場を考える-求められるクラス学習
(1)子どもたちがひとりでできること
子どもがひとりで学習できることには、次のようなことがあります。問題を解くこと、答え合わせをすること、調べること、いろいろなことを考えること、単純な繰り返しの学習をすること、文章を書くことなどです。ここでは求められる指導者の役割は、学習のサポートです。
(2)個別学習指導と一斉学習指導
個別学習指導は、1対1から1対5程度までを個別学習指導とよび、それ以上の比で構成されているものを一斉学習指導と一般的には呼ばれています。ここ数年、個別学習指導をさらに突き詰めた、個人別学習指導が様々な指導現場(学習・健康・趣味などの分野)でおこなわれています。
しかし、個別、個人別学習指導も一斉学習指導も本質的なところ(指導者が学習者に「知識」を伝える)では、これらは同質的なものです。そう考えると学習者は指導者により指導を細かく、そして見守ってほしいと考えます。ここ数年、R社が提案、提供したダイエット指導は、個別指導を超え、個人別指導も超えたカリキュラムと言えます。そのため、従来型の一斉学習指導は成立が難しくなっています。では、従来型の一斉学習指導にかわる、指導は存在するのでしょうか。私は、学習者がひとりではできない、というよりひとりでない方が効果のあがる集団学習、ここではクラス学習と位置づけて考えてみたいと思います。
(3)表現力養成のためのクラス学習
文部科学省が2020年の学習指導要領改訂に向けて課題に挙げているのは「表現力の育成」です。私も含めて日本人は一般的、表現力、とりわけ発言力の不足を諸外国の人から言われます。
最近、ALT(assistant language teacher)がよくいう言葉に次のものがあります。
「日本人の子どもたち、とくに高校生は質問を投げかけているのに、どうして応じてくれないのか。なぜ黙ったままなのか」。これについては、「慣れていない」もあるでしょうがそれ以上に、そういった対話の訓練を受けてこなかったことが問題視されています。
適当な例ではないかも知れませんが、敢えてあげてみます。ハーバード・ビジネス・スクールでのクラスにおける発言について、次のような評価がなされています。
1.議論の流れに乗ったのもであるかどうか
2.議論を深め前進させるものであるかどうか
3.議論に新たな視点を提供するものであるかどうか
(三輪 裕範「ハーバード・ビジネス・スクール」)
かなり厳しい条件ですが、アメリカならではのものと思います。次のような指摘もあります。「教室で黙っていることは、得るものだけ得て、貢献をしないことだということが、日本人にはわかっていない」。
自分の考えをはっきりと述べることが、自分にとっても重要であるだけでなく、他の人たちとの関係も深めることになるということを子どもたちに認識させたいものです。
(4)クラス学習をどのように行うか
クラス学習の理想的な形態は、プレゼンテーションと、それに基づく参加者の発言ということになります。
プレゼンテーションには2つの利点があります。
1.人前で発言するという度胸をつけられること
2.発言するためのリポート作成の学習ができること
しかし、何よりの価値は、リポート作成にあたって、自分の表現したいことを読み手が理解できるように書き、発言する表現力を獲得できることです。これはなかなか難しいことで私自身もなかなか満足を得ることはできていません。しかし、できるだけそうだと思っていただけるように書くことの原点を定めています。
日本では、日本語に対する基本力すなわち読む、書く、話す、聴くといった表現力養成の学習がほとんどおこなわれていません。この基本能力あるいは基本作法を身につけさせることは重要かつ急務です。話が少し横道にそれましたが、このクラス学習こそが個人別学習と両輪となるべきものです。
クラス学習を仮想してみます。プレゼンテーションは、あらかじめ発表する人を決めておきます。そしてクラス全員にも、その内容について自分が発表者になることを想定したものを作成するようにします。これが、プレゼンターが発表したものに対する異論の素材となる訳です。したがって、クラス学習のテーマ設定には工夫が必要です。たとえば、「天保の改革」についてなどでは、教科書などに載っていることの発表ではおもしろくも何ともありません。この場合、「自分が水野忠邦であったら、こうしない、こうする」というテーマにすれば、各人各様の意見になるはずですから、意見交換、意見批判が生まれてきます。極めておもしろくなってきます。
当然、このクラス学習における指導者の役割は大きく変わって、いわばコーディネーター、あるいは批判的傍観者という存在になります。
この学習は、更なる継続化と深化をもたらします。このクラス学習後、「私が水野忠邦であったら」研究のプロジェクト・チームを有志で結成します。「改革費用をどこからもってくるかなど研究対象が広がってきます。もしかしたら、この経験が「生涯の仕事」を決める萌芽となるかも知れません。
(5)子どもの学習現場の中心である学校は変わるのか?
「子どもの学習現場の中心である学校は変わるのか?」という質問に私は「変わらざるを得ない」と考えています。理由は抽象的で申し訳ないのですが「子どもの取り巻く世界、環境が急速に変化している」ためです。ただ、学校に教育、学習も含め丸投げすることは不可能と言えます。学校の現場が崩れている原因のひとつになっています。学校もでできること、できないことを学校側も明確にする必要があります。足りない部分においては、民間レベル、特に上場企業は積極的におこなう必要があります。10年後、高齢者の介護問題が深刻化している日本において、人材育成は急務の課題です。
教育、学習現場を考えることは、大人も子どもも含め、共通の課題として取り組む必要があるのです。(文/学林舎 北岡)
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