○Cross Road 110回 コロナ禍のアスリートが 抱えるリスク 文/吉田 良治
新型コロナウイルス・新型肺炎の感染拡大で、一般社会のあらゆる分野で活動に制限が出ました。活動再開でも新しい生活様式に基づいて、それぞれの分野の特性に沿ったウイルス感染予防・医療プロトコルを策定することが重要となります。教育機関ではオンライン授業と教室での対面授業を組み合わせた、ハイブリッド授業を実施しています。職場もオフィスでの勤務と自宅での在宅勤務の組み合わせた、新しい働き方が進んでいます。一方スポーツ界は人と人が競い合うことが前提で、競技によっては接触が避けられないケースも多くあります。ラグビーや格闘技などはソーシャルディスタンスはまず不可能ですので、競技参加者に感染者がいない、という保証を持って試合や練習を実施することが重要です。
ウイルスという見えない相手から感染を防ぐのはとても困難な状況ですが、他にコロナ禍でスポーツ界で抱える問題も深刻化しています。スポーツ活動の制限を受けて目標を失ったアスリートが違法薬物に手を出したり、経済的に苦しい環境のアスリートが詐欺などの犯罪行為に手を染めるといった事件が発生しています。また、不倫といった家庭問題も発覚するなど、アスリートが精神的に不安定になるケースも出ています。疫病のウイルスやインターネットを介しPCやスマホに感染するウイルス同様、人の思考に入り込んで人生の道を外れさせるのも、悪意のウイルスといえるのでしょう。これは外からの誘いというウイルスと、自分の内面から生まれる悪意の欲というウイルスがあります。
アスリートにとって競技力を高めたり、勝利をつかむ上で向上心という欲が必要です。しかし、この欲が悪意にそまると人の道に外れるリスクをはらんでいます。数年前に賭博に手を出したトップアスリートが、“ギャンブルでも負けたくなかった”という意味の発言をされました。欲を正しい生き方に導くために、良識ある理性を機能させなければいけません。
日本ではスポーツという狭い世界で生きることが一般的でした。日本のスポーツ界でよく聞かれる言い訳があります。“日本人は体格・体力が劣るから、勉強を犠牲にしてもスポーツを頑張らないと、世界に通用しない!”です。しかし、近年バスケットボールの八村塁、渡辺雄太、陸上のサニブラウン、サッカーの遠藤翼など、学業を重視・優先するアメリカの大学でスポーツをし、文武両道を実践する日本の若者が増えています。アジアに目を向けると、リオオリンピックで王者マイケル・フェルプスが出場した6種目中唯一銀メダルに終わった競泳男子100mバタフライで、金メダルを獲得したのはシンガポール初の金メダリストとなったジョセフ・スクーリングでした。スクーリングは当時世界大学ランキング46位のテキサス大学の学生でした(東京大学は43位)。国際的なスポーツ大会で大きな実績のないシンガポールでも、若者がアメリカの大学へ留学し、学業を優先しながらスポーツで世界のトップになることを証明しています。
以前阪神タイガースで活躍したマット・マートンが“一つの小さな世界に閉じこもることは、とても危険です。教育が殻を破って違う道もあると気づかせてくれるのです。バッターボックスの外に出てみませんか”と、日本のスポーツ界のスポーツ偏重に警笛を鳴らしています。
学業とスポーツの両立だけでは、欲を惑わす悪意のウイルスから思考を守り、誠実で正しく導くための理性を育むことはできません。人生を正しく導く理性を育むためには、継続して日々実践できるプログラムが重要です。マートンはジョージア工科大学に在学中、トータル・パーソン・プログラムというアスリート育成プログラムを実践しました。アスリートが人生をよりよく生き抜くために、学業とスポーツ、そして正しい生き方を実践するプログラムの整備が求められます。
味の素ナショナルトレーニングセンターには「人間力なくして競技力向上なし」という、JOC選手強化本部スローガンが掲げられています。単なる掛け声ではなく、アスリートの前に一人の人として正しく生きるための支援プログラムが必要です。(つづく)
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