2020.10.23

「わかりやすく」の先にあるもの

 学習現場を考える

 小学校の教科書が改訂され、来年(令和3年)は、中学校の教科書が改訂されます。
 教科書改訂の特徴のひとつに「わかりやすく」があります。写真・イラストを中心にできるだけ「わかりやすく」学習者が理解できるように導いています。
 「わかりやすく」なって、学習する側も指導する側も双方にとって、プラスな事ばかりだと考えてしまいますが、果たして、この“学習知”で現在・未来を生き抜くための基礎を築いていけるのでしょうか。

 

学習現場を考える

 小学校、中学校は、子どもたちが自立するための準備期間であり、教科書は、科目学習を通して“知”を獲得するための素材です。単純にその知をカリキュラム通り獲得するのであれば「わかりやすく」は近道かもしれません。しかし、獲得した“知”を深めたり、発展させていくためには「わかりやすく」だけでは身につけることは難しいです。これは、“誰にでも同じ教育を受ける権利”“平等”という言葉を拡大解釈しつづけた結果のひとつといえます。
 海外の教科書と比較すると日本の教科書は、「わかりやすく」という視点でいえば、世界一かもしれません。綺麗な写真、イラスト、要点がまとめられた文章。
 しかし、今、求められている“学習知”は、想定外の事態に対して、対応できる“学習知”です。そして、目的・目標を自分で生みだし、思考しつづけることができる学力です。

学習現場を考える

 ある学習現場で「先生、この問題わからないから教えて」と生徒がいいます。すると先生は、「教科書・参考書・辞書、インターネットを使って調べて、それでもわからないのであれば、答えを見て、なぜ、そうなるかを考えなさい」と。この現場の先生には「わかりやすく」指導するのではなく、「わからないことは、自分で考えて、調べて、確認する」ということを徹底させようとしています。
 学習現場、例えば学習塾という視点だと難しい指導法かもしれません。ビジネス化していく学習塾において、受け皿の多様化、低価格の提供には限界があります。そして、何よりも、未来を生きていく子どもたちにとって、必要な“学習知”を提供する事は困難です。
 本当に必要な“学習知”はもちろんのこと、学習現場が楽手現場として光り輝くための“知”が必要です。(文/学林舎 北岡)