教育目標と教材-38年間学林舎が考え続けたその先に
私が先代から引き継いで、10年、学林舎に携わって24年になります。学林舎は「教材とは何か?」を念頭に38年間、教材を制作し続けてきました。
例えば広辞苑では、「学習の内容となる事柄をいう場合とそれを伝える媒体となる物を指す場合がある。教材研究の教材は前者、教材作成は後者となる。」というような一般化された意味づけがされています。この意味づけが一般的に通用していると仮定します。教材は「教育目標を達成するための材料、あるいは教育内容を表すための素材」として考えるということになります。日本ではこの代表的なものが「教科書」ということになります。
従って、日本のほとんどの教材は教科書の内容を分かりやすく伝える媒体としての副教材であり、教科書の知識を覚えるためのトレーニング教材として存在してきました。そのため、教科書の教育目標に問題があれば、子どもたちはその問題を抱えたままその教育内容を受け入れていくことになります。ところが今、この教科書を中心とした全国一律の学校教育が成り立たない現状が出始めています。
〇教育と社会とのギャップ
日本社会、企業の在り方が変容する中で、学校教育で受けたはずの知識が社会にでて使えるようになっていないということが、学校教育に対する不信感となっているのです。そして、企業の側からは「知識を生かして問題解決ができる能力(論理的思考力)がある人間の育成」を学校教育に要求しています。「学校教育で受けたはずの知識が社会にでて使えるようになっていない」という原因は、かつて企業がサラリーマン養成を学校教育に求めてきた結果ではありますが、さらに問いつめれば「知識とは何か」ということを根本から問い直されていることでもあるのです。
いままでの「教科書の知識を覚える」「教科書の知識を伝達する」という「知識」は、歴史的事実、すでに証明された公式、歴史的に一般化された概念やことばを覚えるということにとどまっています。そして、それを覚えているかどうかで「評価」されてきました。従って、それらの知識をどのように様々な場面で生かしていくのかということは、それぞれの学習者に委ねたままで、その生かし方そのものは、ほとんどの学習者は教育現場で学んでいません。
徒弟制がまだ存在していた頃は、弟子たちは親方の見よう見まねでそれを身に付け、さらに自分なりの「知識」を創りあげてきました。これは、いわゆる職人だけではなく、大学における研究者でも、企業における営業のノウハウでもそれに似たような形で学ばれてきました。しかし、現在ではそのこと自体が多くの現場ではもはや成り立たなくなり、マニュアルのようなものによって一般化され、「マニュアル人間」という言葉が生まれているほどです。他人の経験と自分の経験とを重ね合わせた自分なりの手法、自分なりの新しい知識づくりが出来なくなっていることが、様々な新しい問題を解決するための力が不足している最大の要因ではないかと思われます。
〇教科書の教育目標を再検討する
私たち教育関係者があたりまえのように考えてきた「教科書の教育目標」そのものを再検討する必要があります。「知識をより深めることによって新たな知識を再構成する力をつけること」を可能にするためには、この「教科書の教育目標」が学年ごとに区切られていることや教科ごとに細分化されていることをもう一度見直さなければなりません。学年ごとに区切るということは、子どもたちの学力を年令によって均質化することであり、一人ひとりの子どもの差異を無視することでもあります。それは同時に、子どもたちのより深い好奇心や探究心を結果として制限することにもなります。また、統合的な視野から教科を考えないために、断片的な知識のみの習得に終始し、仮説を立てたり、仮説を検証したりする「研究する力」や情報を「分析する力」、知識を使って「問題解決する力」を培うことが出来ないのです。もちろん、このことは文部科学省においても将来的な課題として問題視されてきたことは間違いありません。
現に、20年前から様々な「研究開発学校」や「特区制度」でその実験が行われてきたのですから。教科制をはずした「総合学習」の導入もまたその一つでした。しかし、「総合学習」は、現場の教師自身がこの「新らしい教育目標」の意味やその方法論を持たないまま、単に体験主義的なものを子どもたちに与えたに過ぎない学校が多くを占め、今は補習授業に化したところさえあるという状況です。もちろんその成果をあげているところもあることは見逃せません。学年枠をはずして、6年間あるいは9年間で学習内容を考えるという、中高一貫校や小中一貫校の推進もその線上にあります。有名私大においては、新たに小学校を設立し、教育目標を12年間のスパンで考えることによって、子どもたちの探究心や好奇心を引き出し、「研究する力」や「情報分析力」や「問題解決力」を持つことのできる大学生の育成を、大学の存続をかけて行おうとしています。
時代は子どもの1年間ごとを考えるのではなく、すでに12年先を見据えた教育プログラムが準備され始めています。つまり、進学指導から進路指導の時代に突入しているのです。ところが、どこでどう間違ったのか文部科学省は、これらの「研究開発学校」の教育内容の成果を十分に検討することなく、教師の管理、学校の管理、カリキュラムの管理に問題をすり替えてしまったという誤謬を犯してきました。現在の状況を見てください。コロナにより浮き彫りになったのは「学校格差」の問題です。隣の市の学校はこうなのに、自分の学校は対応が違う。
教材もまた、教科書の教育目標に一律に向き合うだけではなく、様々な独自の教育目標を持った教材を開発していくことによって、指導する側の選択肢を増やしていくことが課題となっています。
〇私はこう考える
今からお伝えすることは、私見です。子どもたちに必要な学びはいくつもあります。学校で学習する科目学習については、知識も大切ですが、「学ぶ」ということをどのようにしたら身につけられるのかを自分自身が体験し、経験化するための素材です。そのため、学校での学習がゴールではありません。しかし、多くの子どもたち、保護者たちの多くは実生活という時間の中、「学び」を固定化してしまい、「学び」の幅と時間を失っています。小学生や中学生の多くは「学校」という枠の中での学習生活がすべてといっても過言ではありません。そのため、「学校」によって、先生によってその格差はでてしまいます。これは、学校や先生に責任があるのではなく、国が示した教育という名のシステムに問題があるのと、社会がまだ学歴(派閥)社会であるからです。このことについて、少しずつですが変化が生まれていますが、10年、20年で変わる問題ではないので考えるのは( )にくくってしまう必要があります。
こういった状況をふまえて、私たち大人は、子どもたちに何を伝え、どのような「学び」を提案、提供できるかが重要です。そのことによって、少子化問題に歯止めをかけることができるのではないかとも私は考えています。私が子どもたちに伝えたいのは「道はひとつではないということです」。家族、保護者、学校の先生の言うことは大切です。自分に対して、何かを言ってくれるというのは「想い」があるからです。ただ、その言葉自体が、生きる道のすべてではありません。そのためにも「情報分析力」「問題解決力」「論理的思考力」「構想力」といった「考える力」「考えたことを実施、実行する力」を身につけなければいけません。小学生、中学生であれば、基礎学力である科目学習をどんな形であれ、習得する必要はあります。一般社会はその基礎学力が基盤で構成されています。ただ、学年や年齢ごとに区切られた「学び」をする必要はありません。「学び」たければ、どんどん先に学習していっても構いません。今、それが自分にとって必要だと感じるのであれば、その「学び」をとめる必要はありません。
高校生の年齢からは、私も含めて大人と同じです。受ける「学び」も必要かと思いますが、受けるのではなく、「学び」を深める必要があります。「学び」を深めることによって、目の前にある問題、課題を超えていけます。超えることによって、生きる道は広がっていきます。私たち大人ができることのひとつに、プラス思考を子どもたちに見せることがあります。それは、消費的な発言や表現ではなく、「明るい方向に向いて生きている」というメッセージだと思います。(文/学林舎 北岡)
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