実際の入試問題を検討する
中高一貫校で出題された問題です。
□次の文章を読んで、あとの問いにしたがって作文を書きなさい。
行為の意味
―あなたの〈こころ〉はどんな形ですか
と ひとに聞かれても答えようがない
自分にも他人にも〈こころ〉は見えない
けれど ほんとうに見えないのであろうか
確かに〈こころ〉はだれにも見えない
けれど〈こころづかい〉は見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから
同じように胸の中の〈思い〉は見えない
けれど〈思いやり〉はだれにも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから
あたたかい心が あたたかい行為になり
やさしい思いが やさしい行為になるとき
〈心〉も〈思い〉も 初めて美しく生きる
―それは 人が人として生きることだ
(宮澤 章二『行為の意味』から)
【問い】 本文中に「人が人として生きること」とありますが、あなたは「人が人として生きること」とは、どういうことだと思いますか。この文章で述べられていることをふまえ、あなたの体験を入れながら、600 字程度にまとめて書きなさい。
(問題を解くポイント)
このような課題が出たとき、まず、文章で書かれている内容がどのようなことであるかを考える必要があります。筆者は、〈こころ〉は見えないが〈こころづかい〉は見える、〈思い〉は見えないが〈思いやり〉は見える、と書いています。そして、あたたかい心とやさしい思いが行為となって現れるとき、〈心〉も〈思い〉も 初めて美しく生きるのであり、それが「人が人として生きること」だと結論づけています。したがって、この作文のテーマは、人に対する「心づかい」や「思いやり」であると判断できます。
さて、テーマが決まれば、次は「あなたの体験も入れながら」という指示にしたがい、人から、あたたかい「心づかい」や「思いやり」を受けた体験、あるいは、だれかに、あたたかい「心づかい」や「思いやり」を示した体験を思い出します。子どもにとっては、この体験を思い出すことがなかなか大変な作業となります。こういう場合には、ふだんの生活を思い出し、家族や友だち、学校の先生など、身近な人々とのふれあいを思い出すように指導してください。
体験が決まれば、以前にこのコーナーで書いたように、まず作文の構成を考えるように言ってください。
まず、序論では、この文章で書かれていたこと、「人が人として生きること」の意味について、どのように考えるのかをまとめます。
そして、本論では体験談を具体的にわかりやすく書きます。
結論では、その体験によって学んだこと、体験を通して成長したことを書き、文章を結びます。
*いきなり、600 字の作文を書くことは難しいので、体験談を書く練習だけをさせるなど、細かく分けて文を書く練習をさせてもよいでしょう。
(解答例)
筆者は、文章の中で、あたたかい心があたたかい行為になり、やさしい思いがやさしい行為になる時、心も思いも初めて美しく生きると述べています。つまり、人が人として生きるためには、人に対する心づかいや思いやりを持って行動することが大切であるということです。
五年生の時の写生大会で、わたしは山本さんと二人で、学校のまわりの風景をかいていました。終了時間が近づき、絵がほとんどできあがったとき、わたしはあやまって水入れをたおしてしまい、せっかくかいた絵がぬれてしまいました。山本さんは、すぐに自分の持っていたふきんを出し、絵にかかった水をていねいにふいてくれました。そして、「先生に事情を話して、放課後、かき直させてもらおうよ。せっかくいい絵がかけていたんだから、もったいないよ。」と言ってくれました。その日の放課後、山本さんはおそくまで、私が絵をかき直すのを手伝ってくれました。
あの日から一年以上たちましたが、わたしは今でも、山本さんのやさしい表情をわすれていません。山本さんは、困っている私をはげましながら、手伝ってくれました。山本さんの思いやりはいつまでも私の心の中に残っていくでしょう。私もこれからは、山本さんのようにやさしい思いやりを持てる人になって、こまっている人たちを助けていきたいと思います。
こういった問題傾向は、この10年、増えてきています。増えてきている理由のキーワードは「表現力」です。教えられた文章を覚えて、その文書を他者に説明(そのまま伝える)することはできても、それを自分なりに要約して、自分の表現として他者に伝えることが苦手な日本人は多いです。しかし、インターネットによる技術革新により世界は国を超えてつながり、個々の表現力を求められる時代になっています。母語である日本語での表現力はもちろんのこと母語でない言語(英語、中国語、フランス語など)での表現力も求められています。歌の世界は、もうすでに多種多様な言語での表現の時代に突入しています。世界を見ると教育=表現力の育成は、一番大事だと位置づけられています。言語を英語とした教科書やカリキュラムは、表現力育成をメインテーマにおいています。
そういった中で、日本の教育は大きく後れをとっています。「表現力」を育てる学習指導要領を提示していますが、評価するテストのほとんどがそうなっていません。国語にしても、算数(数学)にしても決まった解答を求める問題が中心です。唯一、中高一貫校の入試テストが「表現力」の一部を求めているテストといえます。詰め込み型の学習の成果が、今の日本の現状であるのであれば、それをどう評価するかは人それぞれですが、私はそれでは「おもしろくない」と思います。抽象的な言葉で申し訳ないですが、生き生きとした多くの人は、自分の表現を大なり小なりもっています。様々な体験を経験にして、表現力を育んできたはずです。学校という世界は、あくあまでもひとつの世界?場?でしかありません。そこがすべてではないということは、多くの大人は分かっていますが、我が子のこととなるとその枠を中心に考えてしまいます。私もその一人かもしれません。ただ、学校でしかできない、体験、経験もありますが、そこにすべてを任せるのではなく、家族も含め、そうでない大人たちも未来を創る子どもたちのために「表現力」を育む場や言葉を発信する必要があると考えています。(文/学林舎 北岡)
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